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歌舞伎町弁財天~「歌舞伎町」の街の興りを刻む弁財天は、歌舞音曲・商売繁盛の神様~ (歌舞伎町1-13-3 歌舞伎町公園) 9月28日 歌舞伎町弁財天祭典より [事務局]


歌舞伎町弁財天~「歌舞伎町」の街の興りを刻む弁財天は、歌舞音曲・商売繁盛の神様~
(歌舞伎町1-13-3 歌舞伎町公園) 
《弁財天の縁起と歌舞伎弁天の由来について》
歌舞伎町1丁目、ゴジラロードとさくら通りの間、周辺にはドンファンや深海魚、11チャンネルと際立つ性風俗店エリアの真ん中に、歌舞伎町のDNAを記憶する「弁財天」がひっそりと鎮座する。
ここは、歌舞伎町1丁目を氏子とする十二社熊野神社の例大祭では睦の神酒所がたち、また、年に一度、上野寛永寺不忍弁財天より住職を招いての祭礼を行う、歌舞伎町の「聖地」でもある。
かつて、この地は、肥前国(長崎)大村藩主だった大村家の別荘があったことから(明治〜大正期)「大村の森」と呼ばれる場所だったそうです。
「大村の森」の真ん中(現在の新宿東宝ビル付近)に四角い周囲約300mほどの池、それを湿地と森が囲み、明治期は絶好の鴨場だったとか。池から始まる蟹川(かにがわ)という川があり、早稲田方面へ流れ神田川につながっていた。この蟹川を埋めた場所が現在の花道通り。
大正二年、上野寛永寺の不忍弁天様の分祀として本尊を勧請、池のほとりに祠が祀られたのが始まり。以来、信者らによりこの場所で年に一度祭禮が行われるようになった。明治26年東京の市民に飲み水を提供する淀橋浄水場が建設された時にその残土で残っていた鴨場の池が埋め立てられ、さらに大正9年には現在の新宿東宝ビルの辺りに府立第5高等女学校ができ、徐々にこのあたりはひっそりとした住宅街になっていきました。池を埋め立てた時に大量の蛇が現れ、それらを鎮めるために、という言い伝えはあるようですが、池が無くなるも弁財天の祠はあり続け、やがて、大正十二年に土地の所有権が尾張屋銀行頭取の峯島家に移転した頃を機に、「峯島家 尾張屋銀行 町内篤志家乃淨財で」本堂改築を行いました。
昭和20年4月の空襲で消失、その際、熱心な信者の方(岡安たか子氏)が自身で本尊を持ち帰り、地主であった峯島家に返還、戦後復興期に改めて、消失した弁天堂の用地に仮殿を建設されました。その後、弁天堂用地は歌舞伎町商店街振興組合に所有が移転、現在の公園用地はその一部を新宿区に寄贈したものです。現在の本堂は昭和38年に歌舞伎町商店街振興組合所有地に建設された建物に設置されたもの。以来、歌舞伎町商店街振興組合は年に一度、組合員の古希の祝いとあわせ、上野寛永寺より僧侶を招き、この弁財天で祭礼を行っています。(令和4年は9月28日に開催)
The fortune of Benzaiten, and the origin of Kabuki Benzaiten - The god of music, dancing, and thriving business.
Kabukicho used to be swampland where lots of gods were enshrined.In April of 1945, the shrine with all of its amulets was burnt down. One devoted believer evacuated Benzaiten from the tragedy.
Kihei Suzuki, leader of restoration association, had built a temporary shrine for Benzaiten before they restored the town itself in 1946.
This is where the shrine still stands. On the monument in the shrine, the following is inscribed "In honour of our everlasting respect for Benzaiten as a neighbourhood guardian".


【歌舞伎町弁財天由来】
弁天様は佛教以前に賢者聖人の信仰厚き 宇賀神と稱する天地創造乃神のお一方で 佛教能始祖は天部の神登し佛教の守護神として崇がめられた尊神である
宇賀神はもと淨流水源等水を司る神で妙音天と云われ又美音天とも稱せられた文化神で 信仰すれば知恵が授かり芸術に長ずると古ろから 弁才天登云われ更に戝寶が授かる霊験のある処から 才乃字が戝能字に替り弁財天と云われるようになった
而して天部の神が垂れ賜う博愛を 美麗なる弁天のお姿で表現せられ信者は 弁天様乃愛稱で合掌する福の神様である
歌舞伎町は昔大村乃森と云われ広大な沼があって沼の邉りに 弁天様が祀られてあった
淀橋淨水場の建設に当り其の残土で沼は埋められ 峯島家で現在の場所に 弁天様は祀られ 大正二年堂宇の改築再建に当り不忍弁財天より現在安置乃 御本尊を勧請して九月巳の日に盛大な祭典が行われ爾来九月の巳の日を 歌舞伎弁天の祭日とせられた
大正十二年に至り町内有志の発議により 峯島家 尾張屋銀行 町内篤志家乃淨財で大改装がせられたものであったが昭和二十年四月の大空襲で本堂及びお守家も罹災した
其の時熱心な信者の一人岡安たか子氏は苛烈な空襲下に於て 弁天様の厨子を脊に奉戴し堂守の梅原氏が付添ひ笹塚に避難しアパートの一室に安置をした
間もなく岡安氏は 弁天様が峯嶋家に移り度いとの御告げがあったので梅原氏夫妻に挓して峯嶋家にお移し申した
混乱した戦災時に於けるこの記録は信者乃田中次郎吉氏に依って明らかにせられたものである
而して昭和二十一年復興協力會では全町戦災した歌舞伎町の計画建設に当り区画を整備せられた際 弁天様の敷地は寸尺も変更せず以前のま〃を保存し復興協力会々長鈴木喜兵衛氏は街建設に魁がけて仮殿を建設し峯嶋家に安置せられてあった 御本尊をお移し申し現在に至ったものである
此の度 有志相寄り 弁天堂再建奉賛會を結成し大方の淨財を以て 永久不変の耐火構造に依り 御本堂を再建し 境内の改装を行ひ面目を一新して この霊験あらたかなる 歌舞伎弁財天を当町及び近隣の 守護神として永遠に崇め奉らんとする次第である
鈴木喜兵衛謹書
昭和三十八年四月 歌舞伎町弁天堂再建奉賛會建之          
奉賛會々長 藤森作次郎
建設委員長 小松太良八

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